出会いと記憶

今村監督の葬儀から1週間が過ぎています。

今も喪失感が消えることは無く、
むしろ日々監督の記憶が増大していくばかりです。

私が今村監督と初めてお会いしたのは
15歳の秋でした。

「楢山節考」という映画のオーディションで東京初台の事務所に呼ばれ
そのときは助監督の武重邦夫さんと月野木隆さんとの面接で
「今村昌平を知っているか。」ときかれました。
「知りません」と正直に答え、
数日前にリバイバルの木下恵介監督の「楢山節考」の無料券を当てて
銀座で観ていたので、
「あ、楢山節考って観ましたぁ~!」と
のんきな発言すらしてまったのです。
月野木助監督は失笑し「まだ撮ってるんだよ」と言いました。
「・・・あ、あのなんだか全部セットで撮ったような、
・・・歌舞伎の幕が出てくる・・違う監督のかもしれないけど・・」消え入るように説明した私に、
二人は「ああ、あれか」と納得した様子でした。

「どうだった?」と感想を求められ
「怖かった」と応えました。
「カラスが沢山出てきて、もっと感動的な話と思ってたけど怖かったです」
「この映画、もっと怖いよ。ほら」と助監督が指した方には
ベランダがあり、骸骨やカラスの人形が
リアルに、無造作においてありました。
「はぁ。」言葉が出てきませんでした。

「あと最後に聞きますが、裸になれますか?」と助監督

当時所属してた養成所では噂に聞いていたが
出来ないといったら合格しないと言われていたので、軽く「まさかね!」と思って
「はい、なれます!」と胸を張って答えたのでした。

そして田舎っぽさが評価され(東京出身です)合格をして
半月後に楢山のロケ地、長野県南小谷の山の合宿所に行き、
そこで初めて今村監督にお会いしました。

私の印象は
『俳優の小林桂樹さんに似ていらっしゃるな~。
まさか別人だよなぁ・・・・。この人が監督さんなんだ~。』
という非常に稚拙な子供っぽい感想しかないのが情けない・・・です。
(数年後に、小林桂樹さんが今村監督の役をなさったので
びっくりしました。)

初対面の時の監督の開口一番は
たしか「ふん」でした。
「ちょっと髪の毛上げてみて」とも言われました。

私の役は杉やん、と言う役で出番は2シーンだけですが、
『監督にはこだわりがあってね、
既に候補の人が何人か山に来たけれども
イメージと違っていたので返されたんだよ。』
と来る道すがら、プロデューサーから脅されていたのです。

しかし、おろされるかもしれない、とか言うことの意味も
まったく何もわからない私は
天真爛漫に監督との初対面を終えて
山から下ろされることも無く
翌日にワンシーン目の撮影を終えました。

しかし、その撮影では
すっかり忘れていましたが、東京で言われたとおり、
山に上りきった瞬間に「明日は裸になるからね」と言われ、
驚愕する私に周囲はあくまで冷静に思いやり深く扱ってくれて、
そして、しっかりと裸になったのでした。

その事はマネージャーも完成した映画を観るまで知らなかったのです。
恐るべし、今村組!
まったく「まさか!」が通用しない世界であるということの洗礼を受けたのでした。

その時は、監督が何をする人なのか、
演出とはなにか、そうゆうことすら理解していない
茫洋とした状態でした。

その茫洋とした私に
演技、とか芝居とか、そうゆう事を認識する以前に
「まずそこに居なさい。」ということを
初めて教えてくれたのが今村昌平監督であり、
そのとき私をフォローしてくれた今村組のスタッフです。

この山の撮影で、
茫洋としていた私の身体と心に、
「役者になる!」という意思が確実に
に萌芽したのです。

この何でもありの、
でも熱くて強くて優しい映画の現場に
夢中になったのです。

今村監督を大好きな人は沢山居ます。

楢山の時にスチールカメラを担当していらした
石黒健治さんのホームページには監督の素敵なお写真と、石黒さんの記事が掲載されています。石黒さんは数多くの今村監督作品を担当していらっしゃいます。

美術監督の稲垣尚夫さんのホームページにも
今村監督の事、沢山書いてあります。

是非ご覧下さい。
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by chutaro116 | 2006-06-13 16:57 | 映画・ドラマ

猫や芝居や日常


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